【ティアック】谷勝馬=田村憲郎=坂井淑晃

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音響機器や計測機器、計測システムなどを製造するティアックの谷勝馬氏の自宅は東京都武蔵野市の閑静な住宅街に建つ敷地内別居二世帯住宅、田村憲郎氏は東京都杉並区、坂井淑晃氏は東京都東久留米市の戸建て住宅です。

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歴代社長

谷勝馬 東京高等工芸学校
柳瀬昇 東北大学
田村憲郎 立教大学
坂井淑晃 早稲田大学
英裕治 成蹊大学

谷勝馬
左の平屋が谷邸

田村憲郎
坂井淑晃
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コメント

  1. 匿名 より:
    谷勝馬氏がいったん社長を退いた時期があり、その後社長に復帰したことがあったはずです。業界紙に載っていた確かな覚えがあります。(後略)

    を投稿した者です。一時期ティアックに在籍したことがあるので、谷社長後期から田村社長後期にかけてくらいの時期の一部は実体験として知っております。その他の時期も業界人として業界紙に報道されるくらいや人脈を通しての情報くらいは得ています。

    田村時代のリストラでは事実上の指名解雇同然で、希望退職という建前ながらその意に反して応募せざるを得なかったり、逆に希望退職に応募したが拒否された人も多く知っております。私は運よくこれ幸いと応募してその後無事再就職出来ましたが、いざその退職仲間を見れば、比較的高年齢ながらも各職場で頑張っているこれからのキーマンが多く含まれていることに驚きを禁じえませんでした。いったい何ていうことをしてるのか、会社を根底から潰すつもりなのかとも思いました。

    恐らく技術系優位の戦後メーカーで経済に疎い技術系役員が多かった中で、文系役員として銀行や証券会社などの株主を上手く騙して、自分が正義のように焚きつけて社長に成り上がったんだと思います。本当に酷い時代でした。

    折角ですからちょっとでも知っていただいたらと思い投稿しました。
    • 管理人 より:
      詳細な情報ありがとうございました。再調査した結果昭和54年から57年まで社長を務めたのは新聞界からTBSを経てティアックへ入社した柳瀬昇氏でした。
  2. 匿名 より:
    谷勝馬氏がいったん社長を退いた時期があり、その後社長に復帰したことがあったはずです。業界紙に載っていた確かな覚えがあります。その間の社長は確かヤマハの川上一族の誰かだったような気がするのですが、全くおぼろげです。誰だったか調べても全くヒットしませんし、何らかの仲違いだった気がするので闇に葬られたのかも知れません。他のサイトで調べた限りでは昭和54年から昭和57年の間のようで、その間は谷勝馬氏は会長職だったようです。その後、現役社長のまま75歳で急逝されました。

    また坂井淑晃氏の後、現在は英裕治氏が長く社長を務められていますが、その間に他の方が社長になられたのかどうかが分かりません。たぶん誰もいなかったようにも思いますが、確信ありません。

    ちなみに田村憲郎時代はティアックの暗黒期でした。谷社長急死の後は実川卓次氏(専務だったか副社長だったか、当時)が事実上の後継者で一旦は新聞報道もされたのに、田村がクーデターを起こして社長に就任しました。実川氏はその後平取締役→一般社員扱いの後に追放されてしまいます。よほど前社長のやって来たことが気に入らなかったのか、大きなリストラで各部署のキーパーソンをも大胆に切捨てました。労働組合からは怪物と呼ばれ、他の役員からも総スカンを食らい、その後数年で退任に追い込まれて坂井氏が社長に就任した時は手遅れでした。

    主力事業、安定事業を外部に譲渡し、昔ながらのオーディオ商売中心のずいぶんこじんまりとした会社になってしまい、仮にもお山の大将だったのが外部資本の傘下になってしまいました。オンキョーと提携するもオンキョーはパイオニア等との関係を深くしてその後ほぼ解消し、ギターのギブソンの傘下になるもギブソンの経営が悪化し、何だかんだでファンドの傘下になっています。今でも何とかやっているのは残った社員一同の頑張りだと思います。
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